愛知医大映研の10年間とその後

愛知医大映研2代目部長

4月12日に「てふてふはべる」でも紹介・告知しましたが、一宮勤務の
広田貴久先生から御了解頂き、「肖像権」「作品画像」に関しても今後掲載の
許諾頂きました。逆にどんどん宣伝して下さい、とおっしゃって頂きました。

深謝申し上げます。
(愛知医大映研映画保存委員会)

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# by tehutehu226 | 2011-04-15 22:15 | 制作逸話

「殺す」

1980年作品である「殺す!」は、円地文子氏・原作の学生映画化。
河原木宏尚、来本万里子、藤本七重・主演
監督は渡辺豊信。
この作品は8ミリフィルムで撮影し、ビデオにテレシネしてアフレコをし、
大学祭でテレビ画面で上映した。他の作品が多くなり、同時上映をする方法
を模索していたのである。
他作品上映中に天井上映した「脱追」と同じである。

ロケは愛知医大、藤が丘、長久手といった愛知医大周辺と、
渡辺の地元の那古野神社でおこなった。
また、雨のシーンは無理矢理特殊技術をしたく、
ダブルエクスポージャーで合成した。

今、この作品は何処へいったのであろう・・・?
(渡邊豊信&愛知医大映研映画捜索委員会)
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# by tehutehu226 | 2011-04-09 04:36 | 制作逸話

夜桜観賞

名古屋で咲いた近所の桜です。
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(映研映画鑑賞&保養会)
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# by tehutehu226 | 2011-03-23 12:41 | 休憩

映研歴史その2

1972年から1976年迄の歴史は、文献があるので後日報告したい。
1976年、渡邊と帆足が歩いているところを撮影された。
それは、その年の秋の愛知医大大学祭の創芸部の上映会にて
公開された『モゴモガ』の一部に使用された。
同作品は前年まで『愛知医科防衛隊』シリーズ演出・製作した
広田貴久監督の初アニメである。
作者の意向が分らないのであるが、留年をテーマにしているようである。
階段を昇っていくモゴモガと先へ歩いていく「足」、巻き込まれていく
「人生」。近くにいるとなかなか会えないものである。
同時上映は『怪人二十面相』『嗚呼!花の応援団』。
翌年に渡邊は空手部を退部して創芸部に入部。
部会で映画研究部となる。
1978年に入部した長谷川久は、稲田充満の後を継いで部長に。
第1作は『さすらいの後悔』約5分だったと思う。
2作目『にんげんだいすき鉄火面』を経て長編『ねんねこりんりん』発表。
同作品はぴあフィルムフェスティバルに入賞した。
(同じ時に手塚真とかも入賞している)審査員に大林宣彦とかいた。
資料は岡山にあるはずなので、また画像がきたら貼付したい。
一方、広田元部長の知り合いが『大怪獣ゼラン』を愛知学院歯学部で製作。
また、広田氏の関東時代の知り合いに根岸、池田の両氏がいて、音楽や特殊火薬
の手配も受けた。(一部敬称略)

(愛知医大映研歴史研究会・I&W)
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# by tehutehu226 | 2011-03-21 18:15 | 映像

映研歴史その1

1976年に愛知医大に入学した時には、映画研究部ではなく、創芸部といっていた。
渡邊が1年生の時は入部とかはせず、独自に「原始魔境」を撮影していた。
この創芸部以前の経緯はいずれ当時の資料を元に書いて行くつもりです。

2年生の際に稲田部長の時に渡邊は入部した。
3年の時に「黒とかげ」や「蝶々…」を、4年で「ボイスマン」などを製作。
4年の際に巨匠・市川監督がデビューする。
  本日はここまで。
(映研映画歴史研究会)
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# by tehutehu226 | 2011-03-20 05:48 | 制作逸話

1972年に創始された映画研究部追想と新作
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